昔の事を思い出しました。 大学時代飲食店でアルバイトしていた事があったんですが、そこはテラ体育会系だったんです。 「頑張ってるかぁ?」って社員さんに聞かれて、普通に「頑張ってます」って答えたら、「ばかやろう!!」ってwww 理由を聞いて納得。 頑張っている様に見えたなら、わざわざ「頑張ってる?」なんて聞く必要ないんです。 つまり「頑張っている?」と聞かれる位に、頑張っている様に見えなかったって事なんですねぇ。ナルホド。 そんな感じでそのお店では、一切言い訳が通用しませんでした。 そこで得た経験って、未だにすっごく大切なモノで、私の社会人としての、いや人間としての礎はそこで培われて居るモノが多いです。 やがて社会にでて、会社に入って思ったことは、言い訳が多すぎる事。 初めはイライラばかりしていました。 仕事の都合上、色々な会社に行って、沢山の人たちとお話をする機会があるんですが、ほとんどのヒトが、「ウチの会社は駄目だ」とか、「周りの人がどうしようもない」みたいな事を聞きます。 ちょっと待てと。 会社がどうこう以前にあなたは何をしているんですか?周りの人なんて関係ないでしょう。 「誰それが駄目だから、会社が嫌になった」って言い訳にすらならないじゃないですか。 そういう人が、一人二人と増えていって、その結果として、あまり宜しくない結果になっている。 「会社が駄目だ」って行っているあなたが駄目にしているんですよ。自覚しなさい。 ふと政治の腐敗についての議論に似ている。 昔、政治家が賄賂を取ったニュースをウチの母親が見て、 「もう日本の政治は腐敗しているね」 って言っているのを聞いて、それは違うだろう。と思ったんです。 その時思い出したのが、こんなフレーズ。私のメンター銀英のヤン・ウェンリー先生のお言葉。
政治家が賄賂を取ることが政治の腐敗じゃない。それは政治家一個人の腐敗に過ぎない。政治の腐敗とは、政治家が賄賂を取ることを批判できない状態の事を言うんだ。
だから、「会社が駄目だ」とか言う前に、何が駄目なのか声を大にして言って欲しい。そしてそれを正すべく何かして欲しい。全員がそう思えば変革なんてたやすいでしょう。 そこまでするのが難しいなら、せめて、口をつぐんで自分のやるべき事をしっかりやって欲しい。誰も責めやしないのだから。 もし、「駄目だ」って事を口に出してしまったら、他の改革をしようとしている誰かの邪魔をすることになる。 それは、あまりにも寂しい。 組織が悪なんてのは、現実ではほとんどあり得ない。 もう一つ一部改変して引用。
組織があるから、個人が存在するのではなく、主体的な意思を持った個人が集まって組織ができる以上、どちらが主で、どちらが従か自明です。
主が諦めたら、従が腐るのは当然のこと。 たとえ腐っても、それを理由に自分の責任を放棄するのは、あまりに悲しい。 なんて思うんですよね。