僕は村上春樹の作品が大好きなんですが、その作品の中で良く出てくる作品がこの『グレート・ギャッツビー』です。 前々から気にはなっていたんたんです。いつか読みたいなぁ。と思っていたら、村上春樹自身が翻訳をしていたので、これぞとばかりに読んでみました。 春樹氏自身にも、大切な作品らしく、後書きにこんな事を書いています。
もし、「これまでの人生でもっとも重要な本を三冊あげろ」と言われたら、考えるまでもなく答えは決まっている。この『グレート・ギャッツビー』と、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』である。  (中略) どうしても一冊だけにしろと言われたら、僕はやはり迷うことなく『グレート・ギャッツビー』を選ぶ。
また、こうも言っています。
それからこれまでに刊行された『グレート・ギャッツビー』のいくつかの翻訳書をひととおり読んでみて思ったのは、その翻訳書の質とは別に、「これは僕の考える、『グレート・ギャッツビー』とはちょっと(あるいはかなり)違う話みたいに思える」ということだった。
翻訳書がムズカシイのは、原著が本当に伝えたかった事、原著が持つ、世界をどれだけ正確に翻訳できているか?という事。これは原著の言語体系とか言うべきものだけでなく、本来の言語が持つ言霊とも言えるモノをどれだけ近いモノに置き換えられているか?ということにも繋がっているのだと思う。どんなにその言語の精通していても、その魂は翻訳されることで多少なりとも変質してしまうようなきがするんです。 だからこそ、翻訳者が誰であるか?ということは重要で、その点、作家として大好きな春樹氏の手によるモノであれば、少なくとも、作品の一つの解釈として楽しめると思ったのです。 この作品は、主人公ニック・キャラウェイの目を通して、J・ギャッツビーという人物の、哀しくも美しいひと夏を描いた物語。 貧しい身から、富を築いた隣人ギャッツビーが夏の間中毎週の華麗なパーティーを催す。誰でも自由に出入りできるその華麗なパーティーの裏には、ギャッツビーの切なくも純粋な想いが隠されていた・・・ 今日読み終わったばかりなんですが、ギャッツビーの悲しみや喜び、絶望と希望がダイレクトに感じ取られて、暫く物語りの余韻から抜け出せませんでした。 1920年代を代表する名著ですが、読む機会があって良かった。 グレート・ギャツビー 『グレート・ギャツビー』 Francis Scott Fitzgerald (原著), 村上 春樹 (翻訳) 中央公論新社 ¥ 861 (税込)