ちょっと思い出したのでエントリ。 たまにこんな話を耳にするんです。 「なんとかやってはいるんだけど、難しくて理解できない」 「自分が何をやっているかわからなくて不安になる」 「どうやっても理解できない気がする・・」 始めは僕はこの感覚が理解できなかったんです。 今まで知らなかった事をいきなり理解しようとしたって、そりゃ無理がある。 10段の階段を上るのに最初の一歩でいけるのはせいぜい1〜3段ぐらいでしょう。 具体的に言えば、C言語を学び始めた頃にいきなり「include stdio.h」の意味することを100%理解できるわけない。入門本であれば、大体「『include stdio.h』はおまじないみたいなモノです。」なんて書いてあるのがほとんど。それが正しいやり方だと思う。 後で「ああ、そういう事か!」って瞬間がやってくるものなのに、何故か皆いきなり全て理解しようとしている気がする。 当然理解できる人は少ないし、理解できたとしても、大変な時間がかかってしまう。 だから、「どうやっても理解できない気がする・・」なんて思ってしまうのかな? なんて考えていた時に、自分の能力を固定的に考える人と成長し続けると考える人というエントリを読んで目からウロコ
人間は2つのタイプに分けられるという。自分の能力は固定して変わらないと考える人(fixed mindset=固定思考)と、ずっと成長し続けると考える人(growthmindset=成長思考)である。
ナルホド。 自分にだって解らないことは、それこそ数えきれないほどある。 というより、知っていることの方が圧倒的に少ない。 でも、どんなに新しい事をやって、右も左もわからなくても、そんなに深刻に不安になることは無いと思う。 なぜかといえば、今はたとえ解らなくとも、少しずづ理解出来るだろうと考えるから。今の自分という存在はほんの一時的存在でしかなくて、解らないのであれば1ヶ月後に理解できる状態になるにはどうすればいいのか?という場所からスタートしている。 「今」理解できないことを不安に思うことはない。未来を中心とした視点なのだと思う。 この考えかたは成長思考という位置付けになるのだろう。 それに対して、「今」理解できていない事に不安を覚える人というのは、視点が過去に向いていることが多いと思う。「こんなにやったのにダメだった・・」という考えから「この先が心配だ」って考えるのだけど、ここには一つおかしな箇所があって、過去(あるいは現在)の自分と、未来の自分がまったく同じ状態にあると思ってしまっている。ここが大きな落とし穴。 なぜそうなってしまうのか?って所には色々疑問があるんだけれども、きっとこれは先天的な性質や才能の問題ではないと思う。 この固定思考と成長思考という概念はスタンフォード大学の心理学の教授で「Mindset -- The New Psychology ofSuccess」の著者のキャロル・ドウェック(Carol Dweck)の発言であるらしいのだが、研究過程の実験に非常に興味深かった。
固定思考・成長思考の研究の中で、子供の褒め方の比較をした。1つのグループの子供達についてはよい結果を出した場合にその結果を褒めた。そうやって褒められた子供は困難に出会うと簡単にあきらめてしまった。固定思考を持ってしまい、成長しようとしなくなってしまった。別のグループの子供たちについては頑張った場合やうまいやり方を考え出した場合に、頑張りややり方を褒めた。そうやって褒められた子供が困難に出会うと、前にもまして頑張ろうとしたり、うまりやり方を考えようとした。成長思考を持つようになったのである。
教育のあり方次第でいくらでも変わってしまうのだ。 そういえばちょっと前に読んだ稲盛和夫さんの「生き方」という本にこんな一文があった。
できないことがあったとしても、それはいまの自分にできないだけであって、将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切です。まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべきなのです。
固定思考というのは、自分自身を現在完了形で自分を評価すること。成長思考はまさにこの未来進行形で考えることなんだろうな。 ほめ方もそうなんですが、きっと叱り方(怒り方ではない)も、この固定思考と成長思考を意識した叱り方があると思っています。 それは次のエントリにしておきますか。