自分強化月間二十一、二十二冊目の本。
一気に読んでしまったんでまとめて書いてしまいます。
上巻のエントリではチョット言葉足らずだったので補足します。
主人公の村田蔵六(後の大村益二郎)という存在の歴史的意義について。
この人は医者を志し蘭学を学びますが、その蘭学の才能を買われて長州藩の軍事最高司令官にのぼり幕府の長州討伐軍を破ります。
無名のまま長州の最高司令官についた蔵六ですが、
面白いのはこの人、薩摩の西郷隆盛、長州なら桂小五郎、高杉晋作のようなカリスマ的魅力をもつ人では全然ないんです。
「今日は暑いですねぇ」
など挨拶をされて、
「夏は暑いのがあたりまえです」
なんて返してしまう人ですから。
風貌も全然司令官らしくない。もともと百姓の出で、刀は使えないし、馬にも乗れない。司令官なのに、全軍の後ろをトボトボ歩いてついていくんです。
でも、この人の作戦がことごとくあたる。彼が
「必ず勝てます」
といえば本当に勝ってしまう。
やがて、彼は新政府の最高司令官にのぼりつめます。
幕府は既に解体していますが、各地では幕府残党や東北諸藩の反乱が起きており、むしろ、新政府(薩長)は負けるのではないか?という時期でした。
彼がいなければ、明治維新は完遂せず、今日の日本はなかったかもしれません。
彼は幕末の動乱期に既に西郷隆盛の反乱を予期していたようで、作品中にこんなくだりがあります。
西郷は同時代のひとびとをすべて魅了した一大思想的人格といっていいが、村田蔵六にかぎっては西郷の電磁力には不導体であった。
(この男は謀反人にちがいない)
と、蔵六は一見して思い込んだ形跡があり、それがひるがえって考えると蔵六の歴史的役割でもあった。
(中略)
蔵六がなすべきことは、幕末に貯蔵された革命のエネルギーを、軍事的手段でもっと全日本に普及する仕事であり、もし維新というものが正義であるとすれば、津々浦々の枯木にその花を咲かせてまわる役目であった。
司馬遼太郎作品のタイトルには作品を総括するテーマというものがあって、それがタイトルになっているんです。「坂の上の雲」とか「峠」とか。僕はこの本を手に取ったとき何故「花神」というタイトルなのか不思議に思ったんですが、前出の一文に続いてこうまとめられています。
中国では花咲翁(はなさかじじい)のことを花神という。蔵六は花神の仕事を背負った。
読み終わってみて思うと、僕はこの作品が司馬遼太郎先生の作品の中では一二を争うほど好きです。
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